更新日:2013年11月29日
昭和49年に大阪市城東区でフレキシブルチューブの製造を始めた時から先代とともに製造現場で働いてきた大阪テクノマスターの兼綱が近年は後継者育成に力を注ぎ何人もの若者が一人前の職人になったので今が引き時と29日の昼で引退しました。
しかし健康なのでいつでも困った時には駆けつけてくれると言っており心強いです。
旋盤加工も液圧ベローズ成型も銀ロー溶接も全て伝授したから引退を決意で来たと言ってもらえた駄馬君からの花束贈呈、読売新聞社の記者さんもちょうど取材で来ており撮影して頂きました。
最後退職する前にぜひ銀ロー溶接を教えてほしいと言って訓練をしていた検査チームの佐藤君から鹿屋市役所から送られた焼酎「薔薇の贈りもの」を
最後社長より会社で預かって飾っていた大阪テクノマスターの盾を引き渡しました。